新年を迎え、その年の安泰や息災を祈る年明け最初の行事です。
新たな年が皆様にとって平穏であるよう祈る年始の行事です。
当山では、本堂内正面の本尊に法華経とお題目を言上し、参詣の皆様に加持祈祷を受けて頂き、一年間の家内安全・無病息災などをご祈念いたします。また、参詣の皆様に初笑いをお届けできるよう、落語を行っております。さらに、お札の授与もしておりますので、ご希望の方は事前にお申し込み下さい。
新たな年が皆様にとって平穏であるよう祈る年始の行事です。
当山では、本堂内正面の本尊に法華経とお題目を言上し、参詣の皆様に加持祈祷を受けて頂き、一年間の家内安全・無病息災などをご祈念いたします。また、参詣の皆様に初笑いをお届けできるよう、落語を行っております。さらに、お札の授与もしておりますので、ご希望の方は事前にお申し込み下さい。
お釈迦様が涅槃を現わした日に合わせ、お釈迦様への報恩謝徳を表す行事です。
およそ2400年前の2月15日、80歳のお釈迦様はクシシナガラの沙羅林で涅槃を現されました。涅槃とは、サンスクリット語「nirvāṇa(ニルヴァーナ)」の音訳であり、仏教では「煩悩の火が消えた穏やかな状態」を意味します。そこから転じて、お釈迦様の入滅を表すようになりました。 しかし実は、お釈迦様は入滅されておらず、かりそめの手立てとして涅槃を現わし、私たちを導こうとされました(これを「方便現涅槃」と言います)。この涅槃を現した日に合わせ、お釈迦様への報恩謝徳を表すために釈尊涅槃会を行います。
当山では、釈尊涅槃会の法要を営み、寺宝の釈尊涅槃図の一般公開をいたします。
およそ2400年前の2月15日、80歳のお釈迦様はクシシナガラの沙羅林で涅槃を現されました。涅槃とは、サンスクリット語「nirvāṇa(ニルヴァーナ)」の音訳であり、仏教では「煩悩の火が消えた穏やかな状態」を意味します。そこから転じて、お釈迦様の入滅を表すようになりました。 しかし実は、お釈迦様は入滅されておらず、かりそめの手立てとして涅槃を現わし、私たちを導こうとされました(これを「方便現涅槃」と言います)。この涅槃を現した日に合わせ、お釈迦様への報恩謝徳を表すために釈尊涅槃会を行います。
当山では、釈尊涅槃会の法要を営み、寺宝の釈尊涅槃図の一般公開をいたします。
お釈迦様降誕の日に合わせ、お釈迦様をお祝いする行事です。
およそ2500年前の4月8日、お釈迦様はルンビニー村の園で降誕されました。伝説によると、母親である摩耶夫人の右脇からお生まれになられたお釈迦様は、踏んだ地に蓮華を咲かせながら七歩歩きました。そして立ち止まり、右手で天を指して、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊 三界皆苦吾当安此(一人一人の自己こそが世界で最も尊いものあり、苦しみに満ちたこの世界を私が安穏にする)」と誓願されました。こうしてお釈迦様は、個人の平等を重んじ、苦しむ私たちを導くご生涯を歩み始められました。
この降誕の日を中心に、お釈迦様を祝して釈尊降誕会を行います。当山では、釈尊降誕会の法要を営みます。また、参詣の皆様がお釈迦様に甘茶をそそげるよう、本堂正面の花御堂内に降誕仏を安置しております。
およそ2500年前の4月8日、お釈迦様はルンビニー村の園で降誕されました。伝説によると、母親である摩耶夫人の右脇からお生まれになられたお釈迦様は、踏んだ地に蓮華を咲かせながら七歩歩きました。そして立ち止まり、右手で天を指して、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊 三界皆苦吾当安此(一人一人の自己こそが世界で最も尊いものあり、苦しみに満ちたこの世界を私が安穏にする)」と誓願されました。こうしてお釈迦様は、個人の平等を重んじ、苦しむ私たちを導くご生涯を歩み始められました。
この降誕の日を中心に、お釈迦様を祝して釈尊降誕会を行います。当山では、釈尊降誕会の法要を営みます。また、参詣の皆様がお釈迦様に甘茶をそそげるよう、本堂正面の花御堂内に降誕仏を安置しております。
四十九日忌を終えて、初めてのお盆を迎える故人を供養する行事です。
新盆とは、四十九日忌の後、故人が初めて迎えるお盆のことです。地域によっては初盆とも言います。お盆は亡くなられた方が家族のもとに帰ってくる期間であり、先祖供養をする上で大切な時です。特に新盆は故人が初めて迎えるお盆なので、念入りな供養が行われます。そのために営まれる行事が新盆供養会です。
当山では、新盆に当たる故人のご家族、ご親戚、また有縁の皆様に参列いただき、法華経とお題目を言上し、故人への追善供養をいたします。また、ご希望により、故人を迎えるための白提灯をお渡ししております。
新盆とは、四十九日忌の後、故人が初めて迎えるお盆のことです。地域によっては初盆とも言います。お盆は亡くなられた方が家族のもとに帰ってくる期間であり、先祖供養をする上で大切な時です。特に新盆は故人が初めて迎えるお盆なので、念入りな供養が行われます。そのために営まれる行事が新盆供養会です。
当山では、新盆に当たる故人のご家族、ご親戚、また有縁の皆様に参列いただき、法華経とお題目を言上し、故人への追善供養をいたします。また、ご希望により、故人を迎えるための白提灯をお渡ししております。
お盆を迎えるにあたって、広く一切の精霊を供養するための行事です。
施餓鬼とは本来、餓鬼道で苦しむ衆生に食物を施して供養することです。しかし、日本に仏教が浸透していくと、いつの頃からか祖先への追善の意味合いが加わり、広く一切の精霊を供養することを意味するようになりました。現在では、施餓鬼会は盂蘭盆会と同じように考えられるようになり、お盆の前後に営まれる行事として広まっております。
当山では、参詣の皆様と共に法華経とお題目を言上し、各家先祖代々有縁無縁の霊、戦争や災害などで亡くなられた殉難物故者の霊、法界万霊への追善供養をいたします。また、施餓鬼追善卒塔婆供養も行っておりますので、ご希望の方は事前にお申し込み下さい。
施餓鬼とは本来、餓鬼道で苦しむ衆生に食物を施して供養することです。しかし、日本に仏教が浸透していくと、いつの頃からか祖先への追善の意味合いが加わり、広く一切の精霊を供養することを意味するようになりました。現在では、施餓鬼会は盂蘭盆会と同じように考えられるようになり、お盆の前後に営まれる行事として広まっております。
当山では、参詣の皆様と共に法華経とお題目を言上し、各家先祖代々有縁無縁の霊、戦争や災害などで亡くなられた殉難物故者の霊、法界万霊への追善供養をいたします。また、施餓鬼追善卒塔婆供養も行っておりますので、ご希望の方は事前にお申し込み下さい。
日蓮聖人入滅の日に合わせ、聖人への報恩謝徳を表す行事です。
法華経の行者であった日蓮聖人は、弘安5(1282)年10月13日に東京池上の地で入滅されました。この聖人入滅の日を中心に、聖人への報恩謝徳を表すために御会式を行います。御会式は聖人を偲ぶ行事であり、本来は厳かに行われていましたが、江戸時代になると賑わいをみせるようになりました。現在では、御会式は聖人とご縁を結ぶ祝祭として親しまれています。
当山では、寺宝の祖師像を本堂に安置し、法話と法要を営みます。加えて、現在では当山だけに伝承している法華芸能である、神奈川県指定無形文化財の曲題目を奉納します。さらに、祖師像は境内の角塔婆と善の綱で結ばれており、角塔婆に触れることで聖人とのご縁を結ぶことができます。そして、境内に「縁日村」として屋台を設置し、参詣の皆様が楽しんでいただくことができます。また、御会式報恩卒塔婆供養も行っておりますので、ご希望の方は事前にお申し込みください。
法華経の行者であった日蓮聖人は、弘安5(1282)年10月13日に東京池上の地で入滅されました。この聖人入滅の日を中心に、聖人への報恩謝徳を表すために御会式を行います。御会式は聖人を偲ぶ行事であり、本来は厳かに行われていましたが、江戸時代になると賑わいをみせるようになりました。現在では、御会式は聖人とご縁を結ぶ祝祭として親しまれています。
当山では、寺宝の祖師像を本堂に安置し、法話と法要を営みます。加えて、現在では当山だけに伝承している法華芸能である、神奈川県指定無形文化財の曲題目を奉納します。さらに、祖師像は境内の角塔婆と善の綱で結ばれており、角塔婆に触れることで聖人とのご縁を結ぶことができます。そして、境内に「縁日村」として屋台を設置し、参詣の皆様が楽しんでいただくことができます。また、御会式報恩卒塔婆供養も行っておりますので、ご希望の方は事前にお申し込みください。
清らかに新年を迎えられるよう、大晦日の夜に営む行事です。
行く年の心にある垢を払い、来る年を清らかに迎えられるよう、大晦日から元日にかけての深夜に梵鐘を撞く行事です。
当山では、撞く回数を決めず、参詣の皆様が一人一回ずつ梵鐘を撞き、新年を迎えられるようにしております。
行く年の心にある垢を払い、来る年を清らかに迎えられるよう、大晦日から元日にかけての深夜に梵鐘を撞く行事です。
当山では、撞く回数を決めず、参詣の皆様が一人一回ずつ梵鐘を撞き、新年を迎えられるようにしております。
毎月の行事
信行会とは、毎月第一土曜日に行われる講話会です。どなたでも自由に参加可能です。
始めに参詣の皆様と共に法要を行い、後に講師による講話がなされます。講師は僧侶だけでなく、様々な分野で活躍なされている方々もお招きしています。ですので、講話の内容は、難しい仏教の教えから身近な生活の情報まで、多種に渡ります。また、月によっては写経や写仏も行います。
どうぞ、お気軽にご参加ください。
始めに参詣の皆様と共に法要を行い、後に講師による講話がなされます。講師は僧侶だけでなく、様々な分野で活躍なされている方々もお招きしています。ですので、講話の内容は、難しい仏教の教えから身近な生活の情報まで、多種に渡ります。また、月によっては写経や写仏も行います。
どうぞ、お気軽にご参加ください。